みんな真面目に働いているのに、
一体何が悪いのでしょうか?
今の社会システムは、「成長」を前提に作られています。
だからこの社会は、自分から止まることができません。 止まった瞬間に、仕組みそのものが崩れ始めるからです。
企業は、売上が伸び続けなければ「失敗」と見なされます。 成長が止まれば評価が下がり、資金が引き、存続が危うくなる。
国家も同じです。
環境や人への負荷が分かっていても、 やめる選択肢は最初から用意されていません。
この仕組みの厄介な点は、 ほとんどの人が善意と責任感で動いていることです。
それぞれの立場では、どれも「正しい」。
けれど、その正しさが積み重なると、
誰も悪くないのに、全体では破壊が進むという状態が生まれます。
かつての社会問題には、分かりやすい敵がいました。
しかし今は違います。
気候変動も、生活の苦しさも、不登校の増加も、 「悪人不在」のまま進行します。
だから止めようがありません。
この社会は、問題が起きるたびに 「今を守るために、負担を未来へ送る」という選択をしてきました。
目の前の安定を優先し、 根本的な問題は「後で考える」。
けれど、その「後で」は一度も来ません。 問題は解決されることなく、形を変えて積み重なっていきます。
そのツケは、少しずつ生活に現れます。
それでも社会は動き続けます。 止めれば崩れると分かっているからです。
変化が起きるとすれば、それは 「良くしよう」とした結果ではなく、 これ以上、未来に送れなくなったときでしょう。
問題が大きく、構造的になるほど、 責任の所在は曖昧になります。
その結果、起きるのが個人への責任転換です。
でも実際には、
それでも、責任だけは個人に返ってくる。 この矛盾が、人を疲れさせ、黙らせ、諦めさせます。
この仕組みは、無理をしてでも動き続けます。 壊れながら、歪みながら、延命され続けます。
問題は、変わるかどうかではありません。 どこまで先送りし、どれだけの負担を未来に残すのか。
その限界に、私たちはすでに近づいているのかもしれません。
これらの問題を解決するのが「ファミリア」です。
ファミリアの広がりが世界を変えていきます。
【社会の構造的前提】 戦後の社会システム(経済成長至上主義) ↓ (1)社会システムの自己保全・拡大メカニズム 「成長し続けなければ崩壊する」社会構造 変化を許さない、むしろ環境を食い尽くす ↓ (2)個人・組織レベルでは「正しい」行動 企業:利益を追求(当然) 政治家:経済成長を目指す(公約) 親:子どもに「良い教育」を(愛情) 教師:規律を守らせる(責任感) → それぞれに「正義」があり、「良くしよう」としている ↓ (3)でも全体では破壊的 環境破壊、格差拡大、分断、孤立、精神疾患 誰も望んでいないのに、悪化し続ける ↓ (4)「敵」の不在 誰か悪人がいるわけではない みんな「善意」で動いている → だから止められない ↓ (5)問題の先送り構造 今の世代:「とりあえず今を乗り切る」 問題は子・孫の世代へ (国家債務、環境破壊、社会崩壊...) ↓ (6)責任の不在 誰も責任を取らない 取れるはずがない(システム全体の問題だから) 「自分一人が変わっても無駄」 ↓ (7)個人への責任転嫁 システムの問題 → 「個人の問題」にすり替え 不登校 → 「子どもの問題」 貧困 → 「自己責任」 環境破壊 → 「一人ひとりができること」 ↓ (8)対症療法の無限ループ 根本原因には手をつけない 表面的な対策(相談窓口、支援制度) → 問題は解決せず、むしろ悪化 → また新しい対策 → さらに悪化... ↓ (9)システムの暴走 誰も止められないまま、拡大・加速 限界まで行く(環境の崩壊、社会の崩壊) ↓ (10)崩壊、または...?